密雲県墻子路長城

時間:2012-11-16 15:40作者:中国旅行玄人閲覧数:

 墻子路長城は密雲県の東北より34キロ離れる関上村の中に位置して、墻子路長城は関上村の東にある泉水河村にあり、山の下には澄み切っている泉があり、山沿いに「V」字形の長城景観が明朝長城の重要な城壁で、北京の東部にある重要な要塞の一つです。文献の記録によれば、墻子路長城は明洪武年間(1368~1398年)建て始め、万歴三年(1575年)修築。保存されるのは北向きの城門1楼、上には「墻子雄関」の扁額があります。墻子路の城内には民宿、町並みはほとんど長城のレンガで建造した物で、文字がつきの建造のレンガはここでは珍しくないです。明代長城は九鎮に分けます。九鎮の一つは薊鎮、鎮の下には西、中、東の三協を管轄して、協は四路を管轄します。元には墻子路は墻子嶺と言われて、石匣を中心する西協に管轄された四路が墻子嶺、曹家寨、石塘嶺、古北口路です。だから、墻子嶺を墻子路と称されます。現在の墻子路村が当時の墻子路の司令部の所在地です。『四鎮三関志』の記録に従って、墻子路は11箇所の要塞を管轄して、計115キロ。