林則徐紀念館

林則徐紀念館は郷土の英雄を称える記念館である。
1785年 福建省の現、福州市に生まれる。1811年科挙に合格。1837年 湖広総督に昇進、アヘン厳禁に成果をあげる。1838年 アヘン問題解決のため、欽差大臣(特命全権大使)として唯一の対外貿易港である広州に派遣される。1839年 アヘンの販売と吸飲を厳禁し、外国商人にアヘンの提出を厳命するとともに外国商館を封鎖し、さらにイギリス商務監督官エリオットを監禁したうえで、イギリス商人などから2万箱のアヘンを押収し、海岸で焼却した。1840年 この年、両広総督に任ぜられたが、アヘン戦争が勃発し、清朝内では和平論者が主導権をにぎり、彼らによって戦争挑発者として断罪され、新疆省に流された。 1840 イギリスは艦隊を派遣して「アヘン戦争」をしかけた。1842 イギリスの近代的な軍事力の前に清軍はなすすべもなく敗北し、「南京条約」が結ばれた。1843年 3年後、罪を許されて官界に復帰する。1850年 欽差大臣として広西の太平天国の鎮圧に赴く途中で病死する。
中国語名:
林则徐纪念馆(lín zé xú jì niàn guǎn)
中国語名の読み方:
リン ズァ シュイ ジ ニェン グァン
英語名:
Lzx
林則徐紀念館の観光時間:
09:00~17:00

林則徐紀念館の写真

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