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ホトアラ(赫図阿拉)城

ホトアラ(赫図阿拉)城は遼寧省の省都である瀋陽の東より60キロ離れる撫順市新賓県に位置して、ヌルハチの祖先を祀る「永陵」に近くです。
ホトアラ(赫図阿拉)城は満洲後金政権の都城で、また「興京」、「黒図阿拉」、「赫図阿喇」、「黒禿阿喇」などと称されて、満民族語は「横の崗」という意味です。遼寧省新賓県に位置して、明朝万暦31年に(1603年)ヌルハチは古い城である費阿拉からここに引っ越して、城を建てました。2年後、城郭を増築、後金天聡8年に(1634年)興京と改称されて、赫図阿拉城には内、外2城に分けれていました。内城周囲2キロメートル、ヌルハチと親戚は住んで、外城周囲4.5キロメートル、警備隊の兵士が住みます。城の外で普通の人、約二万戸ほどあったということです。1644年ヌルハチは即位、国号を金に定めて、つまり史上の「後金」、国の都をここに定めました。天命六年(1621年)、遼陽に遷都。天聡八年(1634年)興京と改称されて、「興京」は、盛京(瀋陽)、東京(遼陽)とともに、清朝が北京に遷都する以前の関外三都の一つに数えられています。
今までも内、外城の城壁、城門遺跡などもはっきり見えます。2006年5月25日ホトアラ(赫図阿拉)は明代遺跡としては中国国務院に中国重点文物保護単位に指定されます。
ホトアラ(赫図阿拉)城の内城面積25万平方、主な建築は正白旗衙門、関帝廟、民居、汗王井、遺跡は汗宮大衙門、八旗衙門、協領衙門、文廟、昭忠祠、劉公祠、啓運書院、城隍廟などがあります。
外城面積156万平方、主な建築遺跡は驸馬府、鎧甲制造場、弧矢制造場などがあります。城の外には顕佑宮、地蔵寺、点将台、校軍場遺址などがあります。
中国語名:
赫图阿拉故城(hè tú ā lā gù chéng)
中国語名の読み方:
ホ トゥー アー ラー グゥ チョン
英語名:
Hetuala

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