洙泗書院

洙泗書院は、かつては先師講堂と呼ばれ知多孔子が学問を修めたり、講義をした場所である。
洙泗書院は、もとは「先師講堂」と言って、曲阜から4キロ離れた北東のところにある。孔子が学問を講じた場所だったが、後になって孔子を祭る場所になったそうだ。孔子は列国を周遊してから魯の国に戻って、詩、礼、春秋を編纂し著した。そして、学生を募って教えた。漢代から宋、金になって、いずれも「講堂」と名づけられていたが、元の時代になって洙泗書院と呼ばれるようになった。紀元1337年(元至元三年)に同じ場所で「殿、堂、門、廡」を建て、洙泗書院と名づけた。そして、専門的に奉る人があった。1494年(明弘治七年)に建てなおしたが、洙泗書院の敷地面積は19388平方キロメートルで、構内の建築は明の時代のものだ。清の時代になって改めて建築し、講堂、大成殿、両廡などがある。碑文は元から明、清までのものがあり、古い松が高く聳え立って、構内は大変静かだ。
中国語名:
洙泗书院(shū yuàn)
中国語名の読み方:
ジュウ スー シュウ ユェン
英語名:
Zhusi Academy
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