代県雁門関

雁門関(がんもんかん)は別名を西陘関と言い、中国山西省の北部、代県の西北、雁門山(別名勾注山)中にある、古来からの関所である。北方の異民族の侵入に対する、中国側の防衛拠点であり、数多くの戦いが繰り広げられてきた。2001年に全国重点文物保護単位に指定された。 
雁門関のある雁門山は、東西の峰が対峙している様が門のようであり、そこを渡りの途上の雁が飛び抜けていくことから、雁門の名がある。中国の歴史を通じて、雁門関は、北方の異民族の南下に対する、中国側の防衛拠点としての役割を担ってきた。戦国時代末期に、趙の武将李牧がこの地に拠って匈奴の侵入を防いだのを初め、漢代には匈奴や鮮卑、南北朝時代から隋唐代にかけては突厥や回鶻(ウイグル)、沙陀、五代から宋代にかけては契丹などの民族の中原への侵入路となり、激しい攻防戦が繰り広げられてきた。統計によれば、雁門関周辺で起きた戦いは大小1,700回を数えるとされる。  
雁門関は北魏の時代には東陘関と西陘関が両置されていたが、唐代より西陘関が雁門関と呼ばれるようになった。元代に至って雁門関は廃止されるが、明の洪武7年(1374年)に、吉安侯陸享の手で修復され、やや東の位置に移された。以降、明代には瓦刺(オイラト)や韃靼(タタール)の侵入に対する上での、長城上の要衝として重視されるようになり、寧武関、偏頭関と共に外三関と呼ばれるようになった。 
中国語名:
代县雁门关(dài xiàn yàn mén guān)
中国語名の読み方:
ダイ シェン イェン メン グァン
英語名:
Yanmenguan

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