西夏碑

西夏碑は、護国寺感応塔碑を補修したもので、西夏文字研究の重要な史料となっている国宝の石碑である。西夏天祐民安5年(紀元1094年)に作られた。今の武威市(古くは涼州)の感通仏塔の霊験と西夏の国王が仏事を重んずる功徳を讃えたものである。
西夏博物館の中にある。西夏博物館の中に入ってから、すぐに広い部屋の真ん中には石碑が立っている。これは博物館の目玉ーー西夏碑(西夏文碑で、正式には「重修護国寺感応塔碑」である。高さ250cm、幅90cmである。
一つの面に西夏文を刻み、 もう一面には漢文が刻まれている。この碑は11世紀から13世紀にかけてこの地を支配した西夏の消息を伝える。
西夏は遊牧民族であるタングート族(チベット系)が建てた国で、現在の寧夏回族自治区と甘粛省の全域を支配してシルクロードにも少なからず影響を及ぼした。『大夏』と号した。中原の宋の人々は西夏と呼んだ。1038年に建国し、1227年にチンギスーハンによって滅ぼされ、そのまま歴史上から忽然と消え去った。
中国語名:
西夏碑(xī xià bēi)
中国語名の読み方:
シー シァ ベイ
英語名:
Xixiabei
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