章懐太子墓

乾県梁山のふもとにある、乾陵の陪葬墓である。
章懐太子李賢(654~684)は高宗李治と則天武后の第2子になり、則天武后の専横に不満を持ち、最後は死を賜い、中宗が復位して乾陵(高宗と則天武后の陵墓)に陪葬された。睿宗の景雲2年(711 年)には章懐太子に追封されました。
1971年~1972年の発掘で、陵園の全長は180m、幅は143mあり、600点以上が出土された。
墓道・過洞・天丼・甬道・前室・後室によって構成された墓葬内部が明らかになり、多くの壁画(50幅)が発見された。なかでも長さ71mの墓道の壁に描かれた客使図・馬球図は有名である。また甬道と前室には多くの宮女図が描かれていた。大半がほぼ完全な状態で保存されている。
中国語名:
章怀太子墓(zhāng huái tai zǐ mù)
中国語名の読み方:
ジャン ホァイ タイ ズー ムゥ
英語名:
The Tomb Of Crown Prince Zhanghuai
章懐太子墓の観光時間:
08:00~18:00
章懐太子墓へのアクセス:
乾県城北
注意事項:
入場料: 11元

章懐太子墓の写真

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